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最高裁判所大法廷 平成9年(行ツ)104号 判決 1998年9月02日

上告人

山口邦明

外三名

右四名訴訟代理人弁護士

越山康

中久木邦宏

黒川厚雄

黒川達雄

野々山哲郎

程島弘美

中林隆博

右上告人山口邦明訴訟代理人弁護士

河原正和

土釜惟次

森徹

右上告人河原正和訴訟代理人弁護士

山口邦明

土釜惟次

森徹

右上告人土釜惟次訴訟代理人弁護士

山口邦明

河原正和

森徹

右上告人森徹訴訟代理人弁護士

山口邦明

河原正和

土釜惟次

被上告人

東京都選挙管理委員会

右代表者委員長

新井一男

右指定代理人

山口潮

外一一名

主文

上告人山口邦明及び同森徹の各上告を棄却する。

上告人河原正和及び同土釜惟次の各上告を却下する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

第一  上告人山口邦明及び同森徹の各上告理由について

一  憲法一四条一項の定める法の下の平等の原則は、国会の両議院の議員を選挙する国民固有の権利につき、単に選挙人の資格における差別を禁止する(第四四条ただし書)にとどまらず、選挙権の内容の平等、換言すれば、議員の選出における各選挙人の投票の有する影響力の平等、すなわち投票価値の平等をも要求するものと解するのが相当である。

しかしながら、憲法は、国会の両議院の議員の選挙について、およそ議員は全国民を代表するものでなければならないという制約の下で、議員の定数、選挙区、投票の方法その他選挙に関する事項は法律で定めるべきものとし(四三条、四七条)、どのような選挙制度が国民の利害や意見を公正かつ効果的に国政に反映させることになるのかの決定を国会の広い裁量にゆだねているのであるから、憲法は、右の投票価値の平等を選挙制度の仕組みの決定における唯一、絶対の基準としているものではなく、投票価値の平等は、原則として、国会が正当に考慮することができる他の政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現されるべきものと解さなければならない。それゆえ、国会の具体的に定めたところがその裁量権の行使として合理性を是認し得るものである限り、それによって右の投票価値の平等が損なわれることになっても、やむを得ないものと解すべきである。

ところで、参議院議員選挙法(昭和二二年法律第一一号)は、憲法の二院制採用の趣旨を受け、参議院議員の選挙について、参議院議員二五〇人を全国選出議員一〇〇人と地方選出議員一五〇人とに区分し、全国選出議員については、全都道府県の区域を通じて選出されるものとする一方、地方選出議員については、その選挙区及び各選挙区における議員定数を別表で定め、都道府県を単位とする選挙区において選出されるものとし、各選挙区ごとの議員定数については、憲法が参議院議員は三年ごとにその半数を改選すべきものとしていることに応じて、各選挙区を通じてその選出議員の半数が改選されることになるように配慮し、定数は偶数としその最小限を二人とする方針の下に、昭和二一年当時の総人口を定数一五〇で除して得られる数値で各選挙区の人口を除し、その結果得られた数値を基準とする各都道府県の大小に応じ、これに比例する形で二人ないし八人の偶数の議員数を配分した。そして、昭和二五年に制定された公職選挙法の議員定数配分規定は右の参議院議員選挙法の議員定数配分規定をそのまま引き継ぎ、その後、沖縄返還に伴って昭和四六年法律第一三〇号により沖縄県選挙区の議員定数二人が付加された外は、平成六年法律第四七号による右議員定数配分規定の改正(以下「本件改正」という。)まで右定数配分規定に変更はなかった。なお、昭和五七年法律第八一号による公職選挙法の改正により、参議院議員選挙について拘束名簿式比例代表制が導入され、比例代表選出議員一〇〇人と都道府県を単位とする選挙区ごとに選出される選挙区選出議員一五二人とに区分されることになったが、比例代表選出議員は、全都道府県を通じて選出されるものであって、各選挙人の投票価値に差異がない点においては、従来の全国選出議員と同様であり、選挙区選出議員は従来の地方選出議員の名称が変更されたにすぎないものである。また、本件改正も、後記のとおり参議院議員の総定数(二五二人)及び選挙区選出議員の定数(一五二人)を増減しないまま七選挙区で改選議員定数を四増四減したものであって、右のような参議院議員の選挙制度の仕組み自体を変更するものではない。

右のような参議院議員の選挙制度の仕組みは、憲法が二院制を採用した趣旨から、ひとしく全国民を代表する議員であるという枠の中にあっても、参議院議員の選出方法を衆議院議員のそれとは異ならせることによってその代表の実質的内容ないし機能に独特の要素を持たせようとする意図の下に、参議院議員を全国選出議員ないし比例代表選出議員と地方選出議員ないし選挙区選出議員とに分け、後者については、都道府県が歴史的にも政治的、経済的、社会的にも独自の意義と実体を有し政治的に一つのまとまりを有する単位としてとらえ得ることに照らし、これを構成する住民の意思を集約的に反映させるという意義ないし機能を加味しようとしたものであると解することができる。したがって、公職選挙法が定めた参議院議員の選挙制度の仕組みは、国民各自、各層の利害や意見を公正かつ効果的に国会に代表させるための方法として合理性を欠くものとはいえず、国会の有する立法裁量権の合理的な行使の範囲を逸脱するものであると断ずることはできない。

このように公職選挙法が採用した参議院(選挙区選出)議員についての選挙制度の仕組みが国会にゆだねられた裁量権の合理的行使として是認し得るものである以上、その結果として各選挙区に配分された議員定数とそれぞれの選挙区の選挙人数又は人口との比率に較差が生じ、そのために選挙区間における選挙人の投票価値の平等がそれだけ損なわれることとなったとしても、先に説示したとおり、これをもって直ちに右の議員定数の定めが憲法一四条一項等の規定に違反して選挙権の平等を侵害したものとすることはできないといわなければならない。すなわち、右のような選挙制度の仕組みの下では、投票価値の平等の要求は、人口比例主義を最も重要かつ基本的な基準とする選挙制度の場合と比較して、一定の譲歩を免れないと解さざるを得ない。また、社会的、経済的変化の激しい時代にあって不断に生ずる人口の異動につき、それをどのような形で選挙制度の仕組みに反映させるかなどの問題は、複雑かつ高度に政策的な考慮と判断を要求するものであって、その決定は、種々の社会情勢の変動に対応して適切な選挙制度の内容を決定する責務と権限を有する国会の裁量にゆだねられているところである。したがって、議員定数配分規定の制定若しくは改正の結果、又はその後に人口の異動が生じた結果、各選挙区間における議員一人当たりの選挙人数又は人口の較差が生じ、あるいは、右較差が拡大するなどして、当初における議員定数の配分の基準及び方法と現実の配分の状況との間にそごを来したとしても、その一事では直ちに憲法違反の問題が生ずるものではなく、当該選挙制度の仕組みの下において投票価値の平等の有すべき重要性に照らして到底看過することができないと認められる程度の投票価値の著しい不平等状態を生じさせる議員定数配分規定の制定又は改正をしたこと、あるいは、その後の人口異動が右のような不平等状態を生じさせ、かつ、それが相当期間継続しているにもかかわらずこれを是正する何らの措置も講じないことが、複雑かつ高度に政策的な考慮と判断の上に立って行使されるべき国会の裁量的権限に係るものであることを考慮してもその許される限界を超えると判断される場合に、初めて議員定数の配分の定めが憲法に違反するに至るものと解するのが相当である。

以上は、最高裁昭和四九年(行ツ)第七五号同五一年四月一四日大法廷判決・民集三〇巻三号二二三頁、最高裁昭和五四年(行ツ)第六五号同五八年四月二七日大法廷判決・民集三七巻三号三四五頁(以下「昭和五八年大法廷判決」という。)、最高裁昭和五六年(行ツ)第五七号同五八年一一月七日大法廷判決・民集三七巻九号一二四三頁、最高裁昭和五九年(行ツ)第三三九号同六〇年七月一七日大法廷判決・民集三九巻五号一一〇〇頁、最高裁平成三年(行ツ)第一一一号同五年一月二〇日大法廷判決・民集四七巻一号六七頁及び最高裁平成六年(行ツ)第五九号同八年九月一一日大法廷判決・民集五〇巻八号二二八三頁(以下「平成八年大法廷判決」という。)の趣旨とするところでもあって、これを変更する要をみない。

二  右の見地に立って、以下、平成七年七月二三日施行の本件参議院議員選挙(以下「本件選挙」という。)当時の公職選挙法の一四条及び別表第三の参議院(選挙区選出)議員定数配分規定(以下「本件定数配分規定」という。)の合憲性について検討する。

本件改正前の参議院議員定数配分規定(以下「改正前の定数配分規定」という。)の下で、昭和五八年大法廷判決は、昭和五二年七月一〇日施行の参議院議員選挙当時における選挙区間の議員一人当たりの選挙人数の最大較差一対5.26(以下、較差に関する数値は、すべて概数である。)について、いまだ許容限度を超えて違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていたとするには足りない旨判示し、さらに、最高裁昭和五七年(行ツ)第一七一号同六一年三月二七日第一小法廷判決・裁判集民事一四七号四三一頁は、昭和五五年六月二二日施行の参議院議員選挙当時の最大較差一対5.37について、最高裁昭和六二年(行ツ)第一四号同六二年九月二四日第一小法廷判決・裁判集民事一五一号七一一頁は、昭和五八年六月二六日施行の参議院議員選挙当時の最大較差一対5.56について、最高裁昭和六二年(行ツ)第一二七号同六三年一〇月二一日第二小法廷判決・裁判集民事一五五号六五頁は、昭和六一年七月六日施行の参議院議員選挙当時の最大較差一対5.85について、いずれも、いまだ違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていたとするには足りない旨判示していたが、平成八年大法廷判決は、平成四年七月二六日施行の参議院議員選挙当時の最大較差一対6.59について、違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていた旨判示するに至った。原審の適法に確定した事実関係等によれば、本件改正は、右のような選挙区間における較差を是正する目的で行われたものであるが、前記のような参議院議員の選挙制度の仕組みに変更を加えることなく、直近の平成二年の国勢調査結果に基づき、できる限り増減の対象となる選挙区を少なくし、かつ、いわゆる逆転現象を解消することとして、参議院議員の総定数(二五二人)及び選挙区選出議員の定数(一五二人)を増減しないまま、七選挙区で改選議員定数を四増四減したものであり、その結果、右国勢調査による人口に基づく選挙区間における議員一人当たりの人口の較差は、最大一対6.48から最大一対4.81に縮小し、いわゆる逆転現象は消滅することとなった。その後、本件定数配分規定の下において、人口を基準とする右較差は、平成七年一〇月実施の国勢調査結果によれば最大一対4.79に縮小し、また、選挙人数を基準とする右較差も、本件改正当時における最大一対4.99から本件選挙当時における最大一対4.97に縮小していることは、当裁判所に顕著である。

そうであるとすれば、本件改正の結果なお右のような較差が残ることとなったとしても、前記のとおり参議院議員の選挙制度の仕組みの下においては投票価値の平等の要求は一定の譲歩を免れざるを得ないことに加えて、較差をどのような形で是正するかについては種々の政策的又は技術的な考慮要素が存在することや、さらに、参議院(選挙区選出)議員については、議員定数の配分をより長期にわたって固定し、国民の利害や意見を安定的に国会に反映させる機能をそれに持たせることとすることも、立法政策として合理性を有するものと解されることなどにかんがみると、右の較差が示す選挙区間における投票価値の不平等は、当該選挙制度の仕組みの下において投票価値の平等の有すべき重要性に照らして到底看過することができないと認められる程度に達しているとはいえず、本件改正をもって、その立法裁量権の限界を超えるものとはいえないというべきである。そして、右のとおり、本件改正後の本件定数配分規定の下における議員一人当たりの人口の較差及び選挙人数の較差は、いずれも、本件改正当時に比べて縮小しているというのであるから、本件選挙当時において本件定数配分規定が憲法に違反するに至っていたものとすることはできない。

以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。論旨はすべて採用することができない。

第二  上告人河原正和及び土釜惟次の各上告について

上告人河原正和及び同土釜惟次は、上告の理由を記載した書面を提出せず、また、同一の選挙区内の複数の選挙人の提起した選挙の効力に関する訴訟がいわゆる類似必要的共同訴訟に該当すると解することもできないから、右上告人らの各上告は却下を免れない。

よって、裁判官園部逸夫の意見、裁判官尾崎行信、同河合伸一、同遠藤光男、同福田博、同元原利文の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

判示第一についての裁判官園部逸夫の意見は、次のとおりである。

私は、参議院(選挙区選出)議員の各選挙区の議員定数は、定数四人以上の選挙区相互間の定数配分の不均衡について、議員一人当たりの人口又は選挙人数の較差が、最大較差一対四を超えるときは、憲法一四条の規定に反するとするのが相当と考えるものであって、その理由は、最高裁判所平成六年(行ツ)第五九号同八年九月一一日大法廷判決・民集五〇巻八号二二八三頁の中の私の意見に述べたとおりであるから、これを引用する。

これを本件についてみると、本件改正に当たって依拠した平成二年一〇月実施の国勢調査による人口を基準にすれば、改正後の本件定数配分規定の下においては、定数四人以上の選挙区間における議員一人当たりの人口の最大較差は、鹿児島県選挙区と東京都選挙区との間において一対3.297であり、また、本件選挙施行当時の選挙人数を基準としても、定数四人以上の選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の最大較差は、鹿児島県選挙区と東京都選挙区との間において一対3.433であることが計算上明らかであるから、本件定数配分規定は、憲法一四条一項の規定に違反するものではない。

よって、私は、上告人の請求を棄却すべきものとする多数意見の結論に同調する。

判示第一についての裁判官尾崎行信、同河合伸一、同遠藤光男、同福田博、同元原利文の反対意見は、次のとおりである(裁判官尾崎行信、同遠藤光男、同福田博については、本反対意見のほか、後記の追加反対意見がある。)。

われわれは、多数意見とは異なり、本件定数配分規定は憲法に違反するものであって、本件選挙は違法であると考える。その理由は以下のとおりである。

一  投票価値の平等の憲法上の意義

衆議院及び参議院の各議員を選挙する国民の権利の内容、すなわち投票価値が平等であるべきことは、国民の基本的人権としての法の下の平等の当然の帰結として、また、国権の最高機関である国会を全国民の代表として構成するための原理として、憲法の要求するところであり、選挙制度の決定に当たって考慮されるべき極めて重要な基準である。

もっとも、右の投票価値の平等は選挙制度の仕組みの決定における唯一、絶対の基準ではなく、国会は、国民の利害や意見を公正かつ効果的に国政に反映させるため、他の正当に考慮することのできる目的ないし理由をもしんしゃくすることができるのであって、国会がこれらをしんしゃくして具体的に定めた選挙制度がその裁量権の行使として合理性を是認し得るものである限り、それによって投票価値の平等が損なわれることになっても、やむを得ないというべきである。

したがって、問題は、国会が具体的に定めた選挙制度によって投票価値の平等が損なわれることとなった場合に、国会は他のいかなる目的ないし理由をしんしゃくしてそのような制度を定めたのか、それらの目的ないし理由はいかなる意味で正当に考慮することができるのか、それらは憲法の観点から見ていかなる地位ないし意義を認められるものであり、ことに前示のとおり極めて重要な基準たる投票価値の平等とはいかなる関係に立つのか、投票価値の平等が損なわれた程度は右両者の関係に適切に照応しているということができるかの諸点にあり、究極的には、これらを総合して、そのような選挙制度を定めたことが国会の裁量権の行使として合理性を是認し得るか否かにある。

二  本件仕組みと多数意見のいうその合理性の根拠

参議院議員の選挙制度の仕組みとその推移は多数意見の詳述するとおりであるが、現行の選挙区選出議員の選挙制度についての要点は、(1)総定数を一五二人とし、(2)都道府県を単位とする選挙区を設け、(3)各選挙区にその人口の多少を問わずに二人の定数を配分し、(4)その余の定数(五八人)を人口の比較的多い特定の選挙区に追加して配分するというところにある。

右のような仕組み(以下「本件仕組み」という。)を採用すれば、選挙区間における議員一人当たりの選挙人数又は人口に較差が生じ、程度の問題こそあれ、投票価値の平等が損なわれることになるのは必至である。それにもかかわらず本件仕組みが採用されたことの合理性の根拠を、多数意見は、次のように説明する。すなわち、本件仕組みは、(一)憲法が二院制を採用した趣旨から、参議院議員の選出方法を衆議院議員のそれとは異ならせることによってその代表の実質的内容ないし機能に独特の要素を持たせる意図の下に、(二)都道府県の歴史的、政治的、経済的、社会的意義と実体に照らし、その住民の意思を集約的に反映させるという意義ないし機能を加味したものである、というのである。

三  参議院の独自性と投票価値の平等

憲法は、衆議院と参議院について、その権限及び議員の任期等に差異を設けている。このことからすれば、参議院における代表制の内容ないし機能に衆議院におけるそれとは異なる独自の要素を持たせること(以下「参議院の独自性」という。)は憲法の予定しているところということができよう。したがって、前記二の多数意見(一)のいうように、参議院の独自性を確保するため、その議員の選挙制度について衆議院議員のそれとは異なった仕組みをとることも、憲法上一定の合理性を認めることができる。

しかし、衆議院議員の選挙制度の仕組みと異なる選挙制度の仕組みは、投票価値の平等を損なうものしかあり得ないものではない。そのことは、たとえば、衆議院議員の現在の選挙制度の仕組みを前提として、参議院議員については全国を一つの選挙区とする場合を想定すれば、おのずから明らかである。そのような選挙制度の是非はともかく、仮にそのような制度を採用したとすれば、投票価値の平等をいささかも損なうことなく、参議院の独自性を確保することができるのである。

すなわち、参議院の独自性は憲法上予定されているところであるにしても、それ自体は必ずしも投票価値の平等と対立あるいは矛盾するものではないから、参議院の独自性をもって直ちに、本件仕組みにより投票価値の平等が損なわれることの合理的根拠とはなし得ないのである。

四  都道府県代表的要素と投票価値の平等

本件仕組みによって投票価値の平等が損なわれる結果となったのは、多数意見のいう前記二の(二)、すなわち、平成八年大法廷判決の表現にならえば、本件仕組みに事実上都道府県代表的な意義ないし機能を有する要素(以下「都道府県代表的要素」という。)を加味したことによるのである。換言すると、参議院の独自性を確保するためにいかなる要素に着目し、いかなる選挙制度を採用するかについては複数の選択肢があるところ、国会が、それらのうちから都道府県代表的要素を選び、本件仕組みに組み込んだからである。

しかし、都道府県代表的要素そのものは、憲法に直接その地位を有しているのではない。それは、全国民の代表を選出する制度を策定するに当たって考慮することのできる要素の一つにすぎない。国会は、右策定に当たってこれを加味することもできるが、これを加味しなくても憲法上何らの問題も生じないのである。したがって、選挙制度の仕組みを決定するに当たって考慮される要素として、憲法の観点からみるとき、前述のとおり極めて重要な基準である投票価値の平等に対比し、都道府県代表的要素がはるかに劣位の意義ないし重みしか有しないことは明らかである。

また、参議院議員は、選挙区選出議員といえども、全国民を代表するものであることは憲法の定めるところであって、各選挙区たる都道府県ないしその住民の利益の代弁者となるべきものではない。それにもかかわらず、その選挙制度の仕組みに都道府県代表的要素を加味することが許されるのは、それによって各地域の実情を国政に反映させるところに意味があると認められるからである。すなわち、都道府県は社会的、経済的、政治的に一つのまとまりを有する地域としてとらえ得るところ、それら各地域における諸事情は必ずしも同一ではない。そして、国会において全国的な施策を決するについても、各地域の実情とそれに伴う各地域住民の意向を理解しておくことが望ましく、これを理解して国政に反映させるための一つの方策として、各都道府県からその地域に精通した議員が常に参議院に選出されるようにしておくことが有効であると考えられるからである。しかしながら、右に関する状況は、本件仕組みが昭和二二年の参議院議員選挙法(ただし、地方選出議員の総定数は一五〇人)によって採用されて以来、本件改正に至るまでの間に、大きく変化した。通信、交通、報道の手段が著しく進歩し、全国に展開したことによって、地域間の事情の相違は大幅に減少した上、国会において、選挙区選出議員の活動によらずに、各地域の実情や住民世論の動向を知ることも容易になった。この変化に伴い、参議院議員選出の仕組みに都道府県代表的要素を加味することの必要性ないし合理性は縮小したと見るべきである。

五  追加配分方法とその理由

本件仕組みのうち前記二の(4)の追加配分は、参議院議員選挙法では各選挙区の人口に比例する方法で行われたが、以来初めての改正である本件改正においては人口比例によらない方法で行われた。本件改正の結果、後記のとおり、投票価値の著しい不平等が生じているのであるが、もし右の追加配分を徹底して人口に比例する方法で行っていれば、この不平等の程度を有意に縮小することが可能であったことは、計算上明らかである。

国会がいかなる目的ないし理由をしんしゃくして人口比例によらない追加配分方法を採ったのかは、必ずしも明らかでない。しかし、本件改正においては、多数意見の指摘するとおり、できる限り定数増減の対象となる選挙区を少なくすることとされていたところ、当時、追加配分を人口に比例する方法で行ったとすれば定数の増減する選挙区の数が若干増加することとなったと認められるから、おそらく、そこに追加配分を人口比例によって行わなかった理由があったものと推測される。

そうであるとすれば、次に、定数配分規定を改正するに当たって、定数増減の対象となる選挙区を少なくすることが、いかなる意味で正当に考慮することができる目的ないし理由と解し得るのかが、問われなければならない。しかし、記録に徴しても、本件改正に際しての国会審議において右の目的ないし理由が説明され、あるいは論議された形跡をうかがうことはできないし、われわれは、いかに考えても、定数の増減する選挙区数を少なくすることを考慮し得る憲法上の根拠を、直接的にも間接的にも、見いだすことができない。憲法が参議院議員の任期を六年として半数改選制を採用し、また、参議院については解散を認めないとしていることからすると、参議院議員の身分について衆議院議員の場合よりも安定性が配慮されているとはいえるけれども、そのことが定数配分規定の改正において増減対象選挙区を少なくすることを正当ないし合理的とする根拠となるとは、考えられないのである。

六  本件定数配分規定の下での投票価値の不平等

平成二年の国勢調査による人口を基準として、本件定数配分規定の下で、選挙区間における議員一人当たりの人口の較差が最大1対4.81であったことは多数意見の示すところであるが、さらに、右の較差が一対四を超える選挙区が他にも五区あったこと、また、定数四人以上の選挙区間における定数二人を超える議員一人当たりの人口の較差が最大1対3.14であり、一対三を超える選挙区が他に二区あったことが、当裁判所に顕著である。本件定数配分規定の下で生じていた投票価値の不平等が著しいものであったことは明らかである。

このような不平等が生じた原因は、基本的には、都道府県代表的要素を加味した本件仕組みにあるところ、右要素自体は、憲法上にその地位を有するものではなく、選挙制度を定めるに当たって極めて重要な基準として憲法の要求する投票価値の平等に対比し、はるかに劣位にあるにすぎない。しかも、本件仕組みが最初に採用された昭和二二年当時に比べて、右要素を加味することの必要性ないし合理性は縮小した反面、その間の激しい人口異動による人口の偏在化によって、本件仕組みを維持する限り、投票価値の不平等は拡大するほかない状態となっていた。したがって、本件改正に当たっては、本来、国会は、本件仕組みをそのまま維持するにしても、投票価値の平等が損なわれる程度をできる限り少なくするよう、配慮するべきであったと考えられる。しかるに、国会は、そのような配慮をせず、かえって、追加配分について、何ら憲法上正当に考慮し得る目的ないし理由もなしに、人口比例によらない方法を採用した結果、前示のとおり投票価値の著しい不平等が残ることとなったのである。

七  結論

以上によれば、本件定数配分規定の下において投票価値の平等が損なわれている程度が憲法上正当に考慮することのできる他の目的ないし理由との関係に適切に照応しているとは、とうていいうことはできない。本件改正における国会の裁量権の行使は合理性を是認できるものではなく、その許される限界を超えていることは明らかであって、本件定数配分規定は憲法に違反するものと断定せざるを得ないのである。

本件選挙は、本件定数配分規定に基づいて施行されたものであるところ、その当時には人口を基準とする最大較差及び選挙人数を基準とする最大較差とも、本件改正当時より縮小していたことが認められるが、その幅は極めて僅少であった上、いわゆる逆転現象が新たに生じていたことも認められ、本件選挙には、憲法に違反する定数配分規定に基づいて施行された瑕疵が存したことになるが、最高裁昭和四九年(行ツ)第七五号同五一年四月一四日大法廷判決・民集三〇巻三号二二三頁及び最高裁昭和五九年(行ツ)第三三九号同六〇年七月一七日大法廷判決・民集三九巻五号一一〇〇頁の判示するいわゆる事情判決の法理により、主文において本件選挙の違法を宣言するにとどめ、これを無効としないことが相当と考える。

判示第一についての裁判官尾崎行信、同福田博の追加反対意見は、次のとおりである。

我々が前記反対意見に示した理由だけでも既に本件定数配分規定を憲法違反と判断するに足りるが、以下のところをも考慮すれば、その違憲性は一層明白である。

一  投票価値の平等と国会の裁量権

1  そもそも国会が国権の最高機関と認められるのは、国会が全国民を代表する選挙された議員で組織される国の機関であり(憲法四一条、四三条)、国会の決定は国民全体の中の意見や利害が議員の国会活動を通じて具体的に主張されこれを反映した結果である公算が極めて高く、いわば国民全体の自己決定権の行使の結果とみなし得るところから、代表民主制にあっては統治システムの中で最高の地位と権限を与えられるべきであるとの考えに基づく。国会に立法上「広範な裁量権」を認め、法律の制定と予算の策定を通して行政、司法を制約できる地位を与えているのも全国民の意思の体現者と認めたからにほかならない。すなわち、全国民が平等な選挙権をもって参加した自由かつ公正な選挙により自らの代表として選出した議員で構成されていることこそが、国会の高い権威の源泉なのである。そのような「全国民の代表」とみなし得る議員の構成する国会であって初めて広範な裁量権を認められるのであって、不平等な選挙権行使の結果選出された議員の構成する国会はそのような高い権威を与えられる前提を欠くというべきである。したがって、選挙の仕組みに関しては、原則として投票価値の平等を阻害するものを許容する裁量権は国会に与えられていない。例外的に右の裁量権を認めなければならない場合があるとしても、実務処理上生ずることの不可避な較差のほかは、合理的で必要と明白に立証されたものに限らなければならない。国会は、その最高機関性を維持するためには、その構成員の選出については平等原則を実務上可能な限り貫徹し、選挙区間の較差を一対一に近づけるため、誠実な努力を尽くすべきである。

2  最もよく平等原則を貫徹する方法は、全国の人口又は選挙人数(以下例示として人口を用いる。)を議員総定数で除して得た数値を基準値としてこの人口(以下「基準人口」という。)に一人の議員を割り当てるものである。選挙区を定めるとき、この基準人口の整数倍に当たるよう区割りをするのが理想であるが、地理的制約、沿革、実務処理などの理由から、完全にこれを実行するのはほとんどの場合不可能であろうから、合理性・必要性の認められる限度で、基準人口との間にある程度の偏差の生ずることは、やむを得ないものとして許容せざるを得ないであろう。

とはいっても、右の偏差が基準人口の上下何十パーセントに広がっても、国会の決定は当然に受け入れられるべきであるといった議論は、憲法の要求する投票価値の平等を無視するもので到底憲法の理念に沿うとは思われない(なお、多数意見で用いられている較差は、各選挙区の議員一人当たりの人口の相互間の較差をいうから、右の基準人口を中心にみて、上下各一五パーセントの偏差は較差1.35倍、上下各二〇パーセントの偏差は較差1.50倍、上下各二五パーセントの偏差は較差1.67倍、上下各33.3パーセントの偏差は較差2.00倍に相当する。)。

3  さらに、平等原則の貫徹については、憲法制定後五十年余の間に、差別一般に対する我が国社会の認識が年々厳格となっていることを十分考慮しなければならない。住所の所在する行政区域によって個々の有権者の投票価値が異なることに対する社会一般の反ぱつも、近年大幅に厳しくなっている。このような差別についても現時点の社会通念に照らしてどの程度の偏差ならば許容されるか慎重に判断されるべきである。

この点の判断に当たって、成熟した代表民主制の諸国における同種事例を参考としてみることも有用である。ただ、その詳細及びそれに至る経緯を確知するのは難しく、各国の制度及びその運用を支える政治的、歴史的、社会的背景等の相違に留意する必要があるが、公刊の資料に表れたところからでも次のようにいずれも我が国よりはるかに厳しい基準が法律上定められ、又は判例上確立されているし、実務も原則的にこれに沿って処理されているのを知り得る。

(一) 米国における選挙区再配分訴訟の例をみると、一九六二年に裁判所が議員定数配分に関する平等の問題を判断できると決定すると、以後数多くの判例において投票権の平等を求める程度は急速に厳格さを増し、今日では、連邦下院議員選挙においては基準値の上下にわたる偏差が5.97パーセントのもの(一九六九年)や4.13パーセントのもの(一九七三年)、更に厳しい例としては、0.69パーセントのもの(一九八三年)までが違憲と判決され、また、より寛容な考えが示されている州議会議員選挙においては上下にわたる偏差が一〇パーセント以上であれば違憲であるとの一応の推定が成立し、政府側がその偏差を正当とする理由を論証しなければならないとされている(一九八三年)。

(二) 英国では、下院の各選挙区の有権者数を一選挙区当たり平均有権者数に近づけるため、一九九五年枢密院令によって選挙区画改定が行われた結果、各選挙区の平均有権者数からのかい離状況は、次の表のとおりとなった(橋本嘉一「英国における下院議員選挙区画の改定」選挙時報四五巻五号一一頁による。)。

地域 選挙区数 かい離 ±一〇%以内(%) ±二〇%以内(%)

イングランド

改定前 五二四 51.3 85.9

改定後 五二九 84.1 99.2

ウェールズ

改定前  三八 55.3 92.1

改定後  四〇 72.5 九五

スコットランド

改定前  七二 41.7 81.9

改定後  七二 69.4 93.1

北アイルランド

改定前  一七 52.9 88.2

改定後  一八 72.2 一〇〇

英国は四地域の連合王国であることなどから、各地域独自の選挙区数を有する歴史的経緯もあって、一九九五年登録有権者数に基づいて四地域ごとの一選挙区当たり平均有権者数を英国全体の平均有権者数と比較すると、イングランドは1.04倍、ウェールズは0.83倍、スコットランドは0.83倍、北アイルランドは0.98倍となっており、この程度の不平等についてすら、ウェールズとスコットランドは過剰代表であるとして問題視されている(前同書一三頁)。

(三) ドイツにおいては、ドイツ統一後の連邦議会議員総定数を削減し、あわせて、小選挙区を再編し各小選挙区人口を全選挙区平均人口により厳密に近づけること等を目的として、一九九六年一〇月に選挙法が改正された。この改正により、議員一名につき、全選挙区平均人口に対する各選挙区の人口の偏差を上下一五パーセント(現行二五パーセント)以内に抑えるべきであるとし、偏差が二五パーセント(現行33.3パーセント)以上となった場合には選挙区割りを修正することが義務づけられた。この改正は二〇〇二年から実施される予定となっている。

右改正に先立つ一九九六年九月の状況は、三二八選挙区中、偏差二〇パーセントまでのものが二四四区(74.39パーセント。内訳五パーセント以下七〇区、五パーセントを超え一〇パーセント以下のもの六一区、一〇パーセントを超え一五パーセント以下のもの五九区、一五パーセントを超え二〇パーセント以下のもの五四区)、二〇パーセントを超え二五パーセント以下のもの四〇区(12.20パーセント)、二五パーセントを超え33.3パーセント以下のもの四四区(13.41パーセント)、33.3パーセントを超えるもの〇区であったとされている(一九九七年六月一七日付けドイツ連邦議会の規模についての改革委員会最終報告書及び同年七月一八日付け同委員会補足報告書による。)。

(四) フランスでは、国民議会の選挙について、一九八六年七月一一日法律第八六―八二五号が、選挙区間の人口の偏差は一般利益の要請を考慮に入れることを目的として許容される場合があるが、いかなる場合においても、各選挙区の人口は、当該選挙区が属する県の全選挙区の平均人口から二〇パーセントを超えてかい離してはならない旨定めている。しかし、同法律は、その付表において各県ごとの議員定数を定めるに当たり従来の定数配分をそのまま踏襲し各県の最低選出議員数を二名とした結果、県間の一議員当たりの人口に較差が生じ、右較差が三倍に及ぶ例が出た。そのため同法の合憲性が争われ、憲法院は、右法律自体は合憲としつつも、最大かい離二〇パーセントは例外的な場合で正当な理由がありかつ一般利益の具体的要請に基づくものである場合にのみ許されるとした(只野雅人・選挙制度と代表制三七四頁参照)。

さらに、現在のフランスにおいて全国的規模でどの程度の較差が存在しているかについてフランス国立統計経済研究所一九九五年人口統計に基づき分析してみると、次のような実態が認められる。すなわち、右統計によれば、海外地域圏を除いたフランス本土の人口をその議員定数五五五で除した全国平均議員一人当たり人口は一〇万四五四〇人であるところ、フランス本土を構成する二二の地方別に人口を議員数で除してみると、一一万人台三地方、一〇万人台一一地方、九万人台五地方、八万人台、七万人台、六万人台各一地方であり、二二地方中一八地方において、基準人口からの偏差は一〇パーセント以内であり、それを超えるものは四地方にすぎない。また、総数九六県につき各県別議員一人当たり人口をみると、基準人口からの偏差一〇パーセント以内に五六県(58.33パーセント)、同偏差二〇パーセント以内に八〇県(83.33パーセント)が集中している。これらからすると、全国的にみて、ほとんどの県には基準人口に極めて近い範囲で議員定数の配分が行われており、較差の著しい例があったとしても少数の例外的な場合に限られていることがうかがわれる。

(五) 要するに、こうした諸外国の例を通覧すれば、平等に選挙権が与えられているかどうかの議論は、偏差が一〇パーセントないし二〇パーセントにとどまるべきであり、しかも、例外は十分な合理的理由とそれによらざるを得ない必要性が示されたときに限られるべきであるといったことを中心に行われていることを知り得る。こうした平等原則の貫徹のため真しな努力が尽くされて初めて偏差も正当化されるのであって、立法府の広範な裁量権を口実に漫然と現存する大きな偏差を容認すべきではないといわざるを得ない。

4  ひるがえって、わが国の現状をみると、投票価値の平等を論ずる際、従来主として最大較差がいかほどかが検討されてきた。もちろんその視点も不平等の程度の大きさを象徴的に示すためには意味深いが、最大較差は例外的に過大な人口と過小なそれとの対比となる場合があり、それのみでは全国民の間における平等の程度を判断する指標として十分ではない。

むしろ、全国平均の議員一人当たりの人口を基準に、この基準人口から一定の偏差値内を許容することとし、この域内にどれほど多くの選挙区が入るかをみることが、全国民の平等の度合いを測るのに大きい意味を持つと考える。そこで、世界の傾向を考慮に入れ、仮に上下二〇パーセントの偏差(最大較差1.50倍)を許容範囲とすると、我が国の本件改正時の状況(ただし、平成二年の国勢調査による人口に基づく。)は次のとおりである。

基準人口 八一三、二三一人

偏差二〇%未満  上 二区 下 九区

計一一区(23.4%)

20%〜33.3% 上 一区 下 一〇区

計一一区(23.4%)

33.3%超  上 八区 下 一七区

計二五区(53.2%)

このように我が国の有権者の八〇パーセント近くは世界の常識からみて過小又は過大に評価されており、ドイツの前記改正前の法律でも認められなかった33.3パーセント超のものが53.2パーセントに上るのである。かかる圧倒的な不平等は今日の社会一般の平等の観念に合致するものではない。

5  我が国にあっても、現在及び将来を見通して、投票価値の平等を確保するための抜本的方策を講ずることは憲法の定める代表民主制を維持するため不可欠の基盤であることを強く認識し、過去五十年余の間の大幅な人口異動と平等観念の変化を踏まえ、今日の社会において一般人に受容され得る平等基準にのっとって議員定数の配分が決定されなければならない。その際にある程度の偏差を許さざるを得ない事情があったとしても、それは例外的場合にのみ許されるべきものであるから、あらゆる工夫を尽くして較差を最小限にとどめ、可能な限り一対一に近づけるべきである。そして、この目標を達するため必要と認められるときには、選挙区割りを変更することもちゅうちょすべきではなく、またこうした仕組みの変更をすることは困難なことではない。現に我が国も、衆議院議員選挙法(明治二二年法律第三号)の制定以来、原則小選挙区制、府県大選挙区制(明治三三年法律第七三号)、原則小選挙区制(大正八年法律第六〇号)、中選挙区制(大正一四年法律第四七号)、大選挙区制(昭和二〇年法律第四二号)、中選挙区制(昭和二二年法律第四三号)、小選挙区制(平成六年法律第二号)と数次にわたり選挙区割りの変更を経験しているが、それによって特段の不都合は生じていない。従来こうした変更は一県内において行われてきているが、最近五十年余の間に生じた人口異動の激化、交通の発達、経済の相互依存、対立意識の消滅、これらに伴う帰属意識の衰退等に照らせば、今日複数県にまたがって変更を行うことを不可能とする根拠とはなし得ない。

6  なお、衆議院議員の選挙においては、人口比例主義を最も重要かつ基本的な基準とする選挙制度をとり、投票価値の平等を確保すべきであるが、参議院議員の選挙については、これと比較して投票価値の平等は一定の譲歩を免れないとする議論は、我が国の憲法上何らの根拠を見いだすことができない。参議院議員の選出に当たって選挙権の平等を損なってまで地域代表的性格を加味する趣旨の規定は憲法には存在しない。憲法は、両院の議員がひとしく全国民の代表として選挙により選ばれ、国権の最高機関の構成員として高い権威と権限を賦与されることを明確に定めているのであり、その地位の根拠は、国民各自が議員を選挙する権利を平等に行使できて初めて正当化されるのである。したがって、両院の議員が自らの地位の渕源たる投票価値の平等を阻害する行動をとることはひとしく自己否定につながるのであって、この点において両院の議員間に何らの差もないのである。また、憲法が二院制を採用して両院それぞれの独自性を期待したこと自体はそのとおりであるとしても、それは平等原則にのっとった選挙の仕組みを通じて実現されるべきものである。

ちなみに、二院制を採る国において、その一院について、人口比率に基づく平等原則と無関係に一定の議員定数を配分する場合があり、アメリカはその好例である。そうした制度が採られたのは、元来独立国とみなされた諸州の間で連邦国家形成の合意を成立させる必要上、各州の代表者として連邦上院の議員をそれぞれ同数選出することとし、その合意を憲法上明定して上院議員選挙には投票権の平等を求めないこととしたからである。したがって、アメリカにおいても、州議会の二院制については、連邦の場合のような必要性もないし、憲法にも規定がない以上、両院ともひとしく人口に比例した選挙区割りが要求されているというのが最高裁判所の判例である。二院制であるからといって、各院の選挙につき、平等の程度に差を設けてよいとの一般論は、短絡的で採ることはできない。

二  現行制度下の不平等の原因

本件改正法下で存在する最大較差4.81倍を正当化する根拠として、多数意見は、憲法が二院制を採用し三年ごと半数改選制を規定したことと、国会が都道府県単位を基準として選挙区割りを定めたことの二つを挙げているが、両者とも平等原則を否定するための合理性も必要性も備えていない。

1  三年ごと半数改選制

(一) 公職選挙法は、憲法が参議院につき三年ごとの半数改選制を定めたとの理由で、各選挙区に偶数の定数を割り当てている。この方法は、全国を通じ各選挙区とも三年ごとに一斉に選挙を行うためには簡便な方法ではあろうが、それは、決して憲法の定めから必然的に導かれる要請ではない。憲法は議員総数を偶数にした上で三年ごとに全国的規模で半数議員を改選することを求めているだけである。たとえ奇数を定数とする選挙区(奇数区)があったとしても、奇数区の数が偶数であれば全国的規模で半数の議員を改選する仕組みを設定することに何ら支障はなく、その前提で定数の配分に工夫を凝らせば投票価値の不平等をめぐって現存する問題点は大幅に改善されよう。現行制度は、単なる手段の簡便さという低次元の理由によって、代表民主制の基本である投票価値の平等を否定する大きい原因を作っているのである。

(二) さらに、現行の制度は、三年ごと半数改選を毎回各選挙区で実施するため全選挙区に最低二名を割り当てており、当裁判所の先例は特段の理由も示さないままそれを当然のこととしている。しかし、これも投票価値の平等を害する大きな原因となっていることは明白であるから、その憲法適合性を平等原則に照らして検討する必要がある。

前述したように、憲法は三年ごとの改選が参議院議員全体の半数について行われることを定めているだけであって、各選挙区の議員の半数について行われることを要求しているわけではない。一人区が二つあるときは、三年ごとに交替で改選を行うことも当然許される。仮に他の選挙区と異なって六年に一回選挙を行うことに違和感を覚えるものがいたとしても、それは憲法の基本原理である平等原則を害する理由としては十分ではない。もし一人区にあってこれを嫌う意見が多ければ便宜他の区と合同で選挙を行うことも考えられよう。このように、憲法に定める半数改選制は、各選挙区に最低二名を配分する現行の仕組みを必然的に要求するものではない。

(三) こうしてみれば、現在の仕組みの前提とされている各選挙区偶数制及び最低二人配分制は、憲法上の要請にこたえるために必要不可欠なものとはいえず、平等原則などの憲法上の価値が侵害される場合には、変更又は廃止されるべき実務上の便宜手段にすぎないのである。

2  都道府県代表的要素

多数意見が、現行制度は都道府県を構成する「住民の意見を集約的に反映させるという意義ないし機能を加味しよう」として定立されたとする点も、投票価値の不平等を正当化するものではない。その趣旨は前記反対意見に表明されているのでここでは再説しない(この点については、平成八年大法廷判決の裁判官尾崎行信の追加反対意見参照)。

多数意見が、地域代表的要素は「国民各自、各層の利害や意見を公正かつ効果的に国会に代表させるための方法」として、現行の仕組みに採用されたという点については、討議主題の内容面について、関係者の主張が正しく国会に代表されるべきであると同時に、その主題に対する意見の量的側面も、公正かつ効果的に国政に反映されなければならないことを指摘しておきたい。すなわち、代表民主制の下にあっては、少数派のものも含め全国民の利害・意見は議員を通して内容面で十分表明されなければならないとともに、それを支持する国民の数がどのくらいかも正確に把握され、国政上に数量的にも適正に反映されなければならない。不平等な選挙権の下に選出された議員の数によって表明・決定された利害・意見は、全国民のそれを数量面で公正に反映したものではない。国会にあってある議案の採否が圧倒的多数で決せられたか、あるいはわずかの票差でなされたかは、その政策の妥当性に関する社会の評価、将来の改廃や再提案への指針、ひいては、賛否の態度に照らし政党や議員の支持率や選挙への影響が生ずる可能性など政治的側面で極めて重要な意味を持つ。賛成又は反対の議員数の多寡は、国政運営の面で極めて重要な要素であり、議員が不平等な選挙権の下で選出されたために、国民の声が国会に正しく反映される機会が失われるときは、真に代表民主制の下の政治と呼ぶことができない結果が生ずる。

三  本件改正の違憲性

1  多数意見は、本件改正によって、平成二年の国勢調査による人口に基づく選挙区間における議員一人当たりの人口の較差が最大6.48倍から最大4.81倍に縮小したことを挙げて、右の較差が示す投票価値の不平等はその平等の有すべき重要性に照らし到底看過することができないと認められる程度に達しているとはいえない旨判示する。しかしながら、投票価値の平等は、代表民主制の下にある国家構造の最も基本的部分に関するもので、国政面でいかなる他の価値にも優先すべき重要性を備えていることは前述のとおりである。こうした重要性を十分考慮せず、また、十分の説示をすることもない点で、我々は、多数意見に賛同する理由を見いだせない。

2  我々の信ずる投票価値平等の原則の重要性に照らすと、改正後の仕組みには憲法上容認し得ないと認められる不平等が次のとおり存続している。

(一) 従来は投票価値の不平等を論ずるとき、① 議員一人当たりの人口又は選挙人数の最大較差がいくらか、② 四人区以上の付加配分区における較差がいくらか、の二点を中心に論議されてきた。この面を検討するのみでも、前記反対意見及び裁判官遠藤光男の追加反対意見にあるとおり、本件改正による定数配分には憲法上到底看過し難い不平等が存在する。

(二) これらに加えて、以下のような不平等の存在もまた現行の仕組みの違憲性を判断するに当たって考慮されるべきである。平成二年の国勢調査による人口に基づく選挙区間における議員一人当たりの人口の較差をみると、① 付加配分がなく二人区となっている二四区については、全国最小の鳥取県を基準とする較差が一対二以上のものは九区であって、最大較差2.911倍(対三重県)であり、② 四人区一八区では鳥取県を基準とする較差が一倍台のものが九区(最小は鹿児島県の1.460倍)、二倍台のものが五区、三倍台のものが福岡県一区、四倍台のものが三区で最大較差は4.583倍(対北海道)であるが、四人区内で最小の鹿児島県を基準とする最大較差は3.139倍(対北海道)であり、③ 六人区四区では、鳥取県を基準とする較差が三倍台のものが二区(最小は埼玉県の3.468倍)、四倍台のものが二区(最大は大阪府の4.729倍)で、六人区内で最小の埼玉県を基準とする最大較差は、大阪府の1.364倍である(なお、八人区は東京都のみである。)。

二人区、四人区、六人区など、同一枠内に分類された選挙区は、人口においてのみならず政治的・経済的・社会的にも類似する環境にあり、それぞれのグループとして類似した特有の利害や意見が存在する場合が多いとされる。そうだとすれば、同じ枠内の選挙区相互間では、投票価値の平等は一層強く実現される区分内較差は当然ゼロに近づくべきであるのに、依然較差が二倍台、三倍台という大きな不平等のまま放置されており、これを正当化する理由は一層薄弱といわざるを得ない。全区偶数配分制、最低二人配分制及び都道府県代表的要素の加味を基本とする現在の選挙の仕組みに固執する限り、こうした欠陥を除去することは不可能であろう。

3  我々も、選挙の仕組みの抜本的改正を含め投票価値が可能な限り一対一に近づくべく最善の努力が誠実にされたにもかかわらず生じた不平等についてはこれを合憲と認める用意はあるが、本件改正に至る過程でこうした努力がされたとは到底認められない。改正前の定数配分規定が投票価値の平等との関係で合憲か否かは長年にわたって最も重要な課題の一つとして検討されており、現行の選挙区割り及び最低二人配分制を維持したとしても、最大較差を相当程度減少させる議員定数の配分方式が存在することが広く指摘されてきた。一方、多数意見が指摘するように、本件改正は選挙区間における較差を是正する目的で行われたが、現行の「選挙制度の仕組みに変更を加えることなく」「できる限り増減の対象を少なくし、かつ、いわゆる逆転現象を解消することとして」改選議員定数を四増四減するにとどめた。その結果最大4.81倍に及ぶ較差が残ったのである。この点につき、原判決は、現行選挙の仕組みと大きな人口異動という限界の下で選挙区間の不平等常態を是正しようとすれば、選挙区の最大定数を八人のまま維持することの当否も問題となり得るところである旨判示している。確かに現行の八人区を一〇人区とするだけでも最大較差を更に縮小させる。つまり、現行の選挙の仕組みの下においてすら、相応の努力と工夫を行えば、較差を現存する4.81倍よりも相当程度減少させる方法があったのに、そうした手段すら採らなかったのであり、その理由は一切示されていない。我々は、憲法の要求は較差を一対一に近づけることであり、この種の暫定的是正では到底合憲と認めるに足りないと考えるものであるが、本件改正に当たって国会がこうした手段によるなどたとえ不十分であっても改善に向けて誠実に最善の努力を尽くしたとも認め難い。とすると、改正後の本件定数配分規定に存在する右の不平等は、合理性・必要性などそれを正当化する理由を有しないというほかない。本件のように議員一人当たりの人口が最小の鳥取県を基準として一対二以上の投票価値の不平等が四七選挙区中二三区(48.9パーセント)に存在する現行の仕組みは、もはや反証の有無を論ずる必要もない程度にまで明白に憲法に違反すると考える。

4  改正前の定数配分規定は、昭和二二年に制定されて以来、平成四年に至る四五年間における大幅な人口異動の振興にもかかわらず、実質的な変更がないまま放置され、その結果、最大較差は、昭和二二年当時の2.62倍(人口基準)から昭和六一年当時の5.85倍(選挙人数基準)になってもなお合憲とされていたが、平成四年当時の6.59倍(選挙人数基準)にまで拡大してついに違憲状態と判断されるに至った。この経過からして最大較差が五倍台であれば許容範囲であると考え、その範囲内に縮小すれば合憲であるとの推測を生むかもしれないが、正しい考えではない。そもそも、国会が、当初の配分規定を制定した当時、その後の大幅な人口異動をも予測し、その結果生じた大幅な投票価値の不平等を放置しあるいは極めて不十分な是正しか行わないことを予定していたことなどあり得ないのであって、これを国会の裁量権の範囲の問題であるとして正当化することは到底許されないところであった。にもかかわらず、平成八年大法廷判決に至るまでの過程で、当裁判所がいまだ違憲の問題が生ずる程度に達していないとしたのは、国会の国権の最高機関としての責任感と自己矯正能力に期待し、司法権の行使を謙抑した結果にすぎず、決して従前の高い最大較差をすすんで容認する趣旨ではなかったのであり、平成八年大法廷判決は、あまりに長く国会の不作為が継続したので、やむなく改正する必要を示すため違憲状態であるとの判断をせざるを得なかったものと解せられる。そうでなければ何ゆえに5.85倍を可とし6.59倍を不可とするか合理的説明はなし得ない。

5  また、本件改正後平成七年一〇月に実施された国勢調査によれば最大較差は1対4.81から1対4.79に縮小し、また、選挙人数を基準とすれば1対4.99から1対4.97に縮小していることをもって不平等の程度は著しくないことの徴表とする見解が原審以来示されているが、これは一部分の現象をみて全般の傾向を無視するものである。本件改正の基本とされた平成二年一〇月の国勢調査による各選挙区の議員一人当たりの人口と平成七年一〇月のそれとを比較すれば、四七選挙区中較差の拡大している区は三七、減少している区は九であって、全国的にみれば明らかに拡大傾向をたどっていることが知られ、四七区中わずか九区における縮小を取り上げ三七区における拡大を無視して、本件改正を正当化する理由とすることはできない。さらに、右両統計によれば、本件改正によりいったん消滅したいわゆる逆転現象は、平成七年には人口一七九万余人の鹿児島県の議員数四に対し、人口一八四万余人の三重県の議員数二という形で再発している。これらからすれば、もし現行の選挙制度の仕組みを容認すれば、既にその傾向のみられる較差の拡大や逆転現象の増加という著しい不平等の増大を再び追認し続ける端緒を与えるだけであろう。

6  要するに、本件改正は、大幅な人口異動の進行という現実と我が国及び世界における個人の平等の尊重に対する社会通念の大きな変化に目を閉ざし、昭和二二年当時の原規定の下で採用された最低二人配分制と都道府県選挙区制を当然の前提として若干の手直し的修正を行ったものにすぎないのであり、憲法の要請する投票価値の平等を実現しているものとは到底いえないのである。

7  現行定数配分規定が違憲である場合、改正と施行に要する期間はどの程度かについて、我々は最大限五年で十分であると考える。公職選挙法(平成六年法律第二号による改正前のもの)は、衆議院議員の定数配分を定めた別表の末尾に五年ごとに直近に行われた国勢調査の結果によって更正するのを例とする旨の定めを置いていたが、この規定は、改正作業と施行には五年を要しないことを前提としており、実務上それで十分と認められていたことを知り得る。改正作業と施行に関し参議院を衆議院と区別する理由はないのであって、ここでも同様に五年以内に改正と施行を行うべきである。

四  結び

1  定数配分規定の改正一般について考えるに、経験的にいって現行の選挙区を維持することが与野党を問わず基本的に現職者にとって有利であり、また、制度的にいってもその是正について有権者の声が届きにくいことから、国会にあって定数較差の問題への対応が遅れがちなことは、必ずしも我が国のみにみられる現象ではない。しかし、代表民主制は、有権者の意向によっては、選挙を通じ現職にあるものが現職でなくなるという仕組みをそもそもの基本としている。選挙における投票価値の平等という憲法で保障された権利を損なってまで現状維持を認めることは、代表民主制そのものへの信頼を大きく減殺する。この問題への我が国の対応はあまりにも遅れている。

2  三権分立は、統治システムの中で自然に存在してきたものではなく、代表民主制を維持するためには、三権を分立し、その間にチェック・アンド・バランスを行わせる方式が最も優れたシステムであるとの経験に基づき発展してきたものである。

国会に広範な裁量権があるという理由で、国会の構成が憲法の想定していないひずみを内包し続けることに対し司法が寛容な態度を表明していれば、司法は三権分立の機能を十分に果たしていないとの見方がでるのは無理からぬところである。その結果、国民全体からみて立法府が自らの意向を正しく代表していない議員で構成されているとの感情を惹起し、国民の政治離れを招き、三権分立の重要性についての国民の認識の低下につながる危険を包蔵している。このように統治システムの基本的枠組みが事実上変質していくのを防止することは、憲法が違憲立法審査権を付託している最高裁判所の機能の中でもとりわけ重要なものというべきである。

我々は、特に憲法に定められた統治システムの基本原理を確保し続けるためには、投票価値の平等が是非とも貫徹されなければならず、司法は、この平等を十全に保障し、憲法の定める統治システムを維持する責任を有するものと信ずる。

判示第一についての裁判官遠藤光男の追加反対意見は、次のとおりである。

私の意見は、前記反対意見に要約されているとおりであるが、私は、本件定数配分規定の改正に当たっては、参議院の発足に際し、参議院議員選挙法が採用した定数配分方法と同一の基準によるべきであったと考えるので、特にこの点についての私の意見を補足的に明らかにしておきたいと考える。

憲法上、参議院議員の定数配分につき何がしかの制約を与えたと思われる規定としては、三年ごとの半数改選規定(四六条)があるのみである。もとより、三年ごとの半数改選は、全国的規模においてこれをみれば足りるのであって、これを実施しない選挙区があっても差し支えないことはいうまでもない。しかし、当該選挙区における選挙人の感情等にかんがみると、三年ごとの半数改選を実施しない選挙区が生じることは、必ずしも当を得た制度というべきではない。したがって、参議院議員選挙法が、三年ごとの半数改選を前提として偶数の定数配分を念頭に置き、各都道府県選挙区に対し、人口又は選挙人数の大小を問わず一律に二人の議員数を配分した上、残余の地方選出議員の付加配分につき徹底した人口比例配分方式を採用したことは、それなりに合理性のある配分方法として是認し得るものと考える。

ところで、同法が採用した配分方法は、いわゆる最大剰余方式と呼ばれるものであるが(その内容については、平成八年大法廷判決の私の追加反対意見中において要約したとおりである。)、本件改正は、この方式を採用することなく、主として逆転現象を解消することを意図して四選挙区につき計八名を増員し、三選挙区につき計八名を減員するにとどめた。

現行選挙区制度の下において各選挙区に対し最低二人の議員数を配分すること自体が選挙区間の較差を生じさせる最大要因となっていたのであるから、国会は、本件改正に際し、残余議員の付加配分については、参議院議員選挙法制定当時の原点に立ち帰り、少なくとも同法が採用したと同じような人口比例配分方式を貫徹しなければならなかったものというべきである。また、このような方式を採用することは極めて容易なはずであり、本件改正に当たって、この方式を採り得なかった特段の事情は何ら見当たらない。

私は、前記大法廷判決における追加反対意見において、付加配分についての人口比例主義の貫徹を重視すべきであるとの前提の下に、定数が四人以上の選挙区(付加配分区)間における定数二人を超えた議員(付加配分議員)一人当たりの人口又は選挙人数の較差をみることが肝要であり、少なくとも、その較差が三倍を超えることがあってはならず、かつ、全選挙区間における議員一人当たりの人口又は選挙人数の最大較差が五倍を超えることがあってはならないと指摘したが、もし仮に、参議院議員選挙法施行当時採用された人口比例配分方式に基づき本件改正が行われたとすれば、前者の較差が最大1.86倍、後者の較差が最大4.63倍にとどまることが明らかである。これに対し、本件改正の結果、後者の最大較差は6.48倍から4.81倍に縮小されたとはいえ、前者につき、その較差が三倍を超える選挙区が依然として三選挙区も存在するのであるから、本件定数配分規定は違憲であると考える。

(裁判長裁判官山口繁 裁判官園部逸夫 裁判官大西勝也 裁判官小野幹雄 裁判官千種秀夫 裁判官根岸重治 裁判官尾崎行信 裁判官河合伸一 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官福田博 裁判官藤井正雄 裁判官元原利文 裁判官大出峻郎 裁判官金谷利廣)

上告人山口邦明の上告理由

一 原判決の問題点

(1) 私は、原審判決の骨子を、次のとおり理解する。

最高裁判所の過去の判決を検討すると、最大較差(最小対最大比)5.26倍、5.37倍、5.56倍、5.85倍の状態について、憲法に違反しないと判断している。しかし、最大較差6.59倍について、違憲の問題を生ずる程度の著しい不平等状態が生じていた、と判断した。

右一連の最高裁判所に従う限り、平成六年改正法は、最大較差を4.81倍に縮小したうえ、逆転現象も解消しているから、「違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等」が存するとは言えない。(原判決一五頁)

(2) 私は、上告の理由として、次の三点を主張する。

① 原審判決が、最大較差(最小対最大比)「六倍未満」を違憲判断の審査基準にしたことは、憲法前文(民主主義の理念)及び憲法第一四条(法の下の平等)の解釈を誤っている。

② 参議院議員の定数是正は、憲法制定時(昭和二二年法)と同じ配分方法で再配分すべきである。昭和二二年法と同じ配分方法で再配分した結果と、平成六年改正法とを比較すると、議員の配分が不足している都道府県が九、議員を超過配分されている県が一三存在する。平成六年法の定数是正は不十分で、民主主義憲法に違反する。

その点、原審判決は憲法の解釈を誤っている。

③ 国会が民主主義を実現するために、あるいは、議員定数を人口比例配分するために、いかなる努力をしたか? 裁判所は国会の審議経過(立法事実)を審理すべきである。

しかし、原審はその審理を怠った(審理不尽の)ため、憲法判断を誤った。

二 違憲審査基準「較差六倍」は、憲法前文及び憲法第一四条の解釈を誤っている。

(1) 最高裁が明言するか否かはともなく、参議院議員の定数是正について、過去の最高裁判決が「較差六倍」を、事実上、違憲判断の審査基準にしていることは、明らかである。

しかし、何故、較差六倍なのか? 判決に、抽象的枕言葉は付いているものの、国民が納得できる理由の説明は何もない。理由の説明がない判断基準に対して、われわれ上告人は、「六倍はおかしい」という以外に、何を反論したらよいのか、見当がつかない。

当事者にも国民にも理解のできない基準は、司法判断の審査基準とはいえない。判決理由は、当事者が理解できる内容、国民が理解できる内容でなければ、全く意味がない。国民に理由のわからない判決は裁判官の独善であり、裁判所は国民に対する職責を果たしていない、と言わざるを得ない。

言い換えれば、「較差六倍」を基準とした判決は、理由不備の違法がある。

(2) 裁判所は不平等が憲法違反になる具体的審査基準とその理由を明確にするための審理をすべきである。

そのためには、裁判所が「投票価値の平等は、……国会が正当に考慮することのできる他の政策的目的ないしは理由との関連において調和的に実現されるべきものと解さなければならない。」(原判決五頁)と、抽象的に言辞を弄ぶのではなく、平成六年の改正法について、いかなる「政策的目的」があり、いかなる「その他の理由」があったのか、あるいはなかったのか、それらの事実(立法事実)を審理すべきである。

(3) 定数是正訴訟の先進国であるアメリカにおいては、「代表の配分は『出来るかぎり平等な人口』(as nearly of equal population as is practical)の上に基礎づけなければならない。」(レイノルズ事件一九六四年)という審査基準が確立している。

レイノルズ事件は、アラバマ州の上院に関する議席配分を、連邦憲法に違反する、と宣告したものです。連邦憲法は、連邦議会の上院については各州二名と定めていますが、州議会の上院については何の定めもしていません。この判決は、連邦憲法の平等保護条項を適用して、違憲判断をしたものです。連邦最高裁のウォーレン・コートは次のように述べています。

『もしも、二院制議会の一つの議席配分について、州が人口平等の原則を無視することができるというのであれば、たとえ他の院の選挙において、等しい人口に代表を求めるという市民の権利が認められたとしても、その権利は、ほとんど価値がないであろう。(中略)例えば、二院間の意見の対立、審議の行き詰まりによって、一つの院がいろいろな問題で妥協と譲歩をすることになるであろう。そのもっとも大きな弊害は、人口に基づかずに議席配分された議院において、院外では少数派であるのに人口の割には過大な議席を配分された議員達が反対することによって、多数派の意思が無視される場合であろう……。(中略)

要約すれば、われわれは、州議会議員の配分について、二院制州議会の二つの院の間に、憲法上の差異を認めることはできない。

われわれは、二院制州議会の両院が、ともに、代表制の有力な基礎を、人口という同一のものに置くことを要求されているとしても、二院制という概念が時代錯誤ないしは無意味になる、とは考えない。現代的意義での二院制の主たる存在理由は、提案された法律案について、賢明で慎重な審議を保障し、かつ無鉄砲な行動を防ぐことである。

議員配分の基本基準が両院とも同一であるべきだという理由だけでは、両院の構成と外観に差異がない、ということにならない。異なる選挙人団が、それぞれの院の議員を選出することは、可能である。一つの院は一人区から成り、他の院は、少なくともいくつかの多数人区をもつことも可能であろう。それぞれの院で、議員の任期に差をつけることもできよう。二つの院の議員数を、意味ある程度に、異なったものにすることも可能であり、議員が選出される地域の広さに差をつけることもできよう……。(中略)

要するに、二院制州議会において、両院とも実質的に人口に基づいた議席配分をしても、なお右の諸要素およびその他の要素を利用することによって、二つの院に異なる外観的特徴と異なる集団意思を生じさせることができ、また、現在多くの州はそのように利用している。』

(Reynolds V.Sims.U.S576.577)(甲第一四号証)

右の説明は、わが国の参議院にもそのまま当てはまり、付け加える言葉はない。

(4) 民主主義の基本が直接民主制であり、政治に関する意見については本来国民が各自平等の発言権を持っていることを考えれば、わが国においても、アメリカの審査基準がそのまま適用できる。

わが国憲法が民主主義・国民主権を採用していることは、憲法前文から明らかである。しかも、民主主義・国民主権の理念は、憲法全体の基礎をなし、個別の条項を支配している。従って、違憲を唱える訴訟において、民主主義・国民主権の理念を侵害しているか否かが審査の対象となった場合は、個別の条項に基づく審査基準よりも厳しい審査基準を適用すべきである。

定数是正の問題は、国民代表の問題であり、正に、民主主義・国民主権の理念が侵害されているか否かが、審理の対象である。従って、憲法の個別条項に関する違憲審査とは別の、もっと厳しい審査基準を設定すべきである。

(5) 議員一人当たりの人数を利用した較差(最小対最大比)六倍の基準は、六倍自体何の根拠もない上に、「較差」は最小と最大の二つの選挙区しか比較の対象にしない杜撰な基準である。

裁判所が従来、最小と最大の二つの選挙区の「最大較差」しか判断基準にしなかったため、国会は衆議院議員の定数を是正するとき、最大較差の縮小のみ行い、中間の逆転現象を無視してきた。人口の少ない選挙区の方が人口の多い選挙区より配分議員数が多い、いわゆる逆転現象が人口比例に反することは明らかである。逆転現象を認めることになる「最大較差」の判断基準が、人口に比例して配分したか否かを検討する基準として、不十分であることは明らかである。

原審判決が、最高裁の一連の判決基準に従ったとはいえ、較差(最小対最大比)六倍を事実上違憲判断の基準にしたことは、民主主義憲法(前文および第一四条)の解釈を誤っている。

三 憲法制定時の配分基準で再配分すべきである。

(1) 私は、原審において、国会議員は「実行可能な限り」人口に比例して配分すべきである。民主主義の歴史は「基準人数に一議員を!」配分することを要求している、と主張してきた。

「基準人数」=全国人口÷議員総数

その要求から当然導き出される審査基準は、基準人数(議員一名分の人口)に議員が一名配分されていなければ議員不足で違憲、二名以上配分されている場合も超過配分で違憲、ということになる。衆議院議員について偶数配分にこだわるなら、右審査基準の一名は二名、二名は四名となる。

参議院議員について、偶数配分を前提に、右審査基準をクリアーする配分方法は、次のとおりです。

各選挙区人口÷基準人数=人口比例値

まず、人口比例値のうち奇数を切捨て、偶数化した整数部分と同じ数の議員を配分する。

議員総数−全選挙区に対する右整数配分の議員数合計=残余議員

残余議員は、人口比例値から右整数配分の数を差し引いた数値が大きい順に、二名ずつ配分する。(最大剰余法と呼ばれている。)

この配分方法は、昭和二二年に制定された参議院議員選挙法の配分方法と同じです。本書別表①「昭和二二年法の配分方法の検証」を見ていただくと、右基準人数による配分と昭和二二年法の配分結果が一致することが分かります。この配分方法を採用すれば、国勢調査人口と議員総数が決まれば、簡単に、人口比例による再配分ができます。平成二年の国勢調査人口を資料に、右の方法で参議院議員総数一五二名を再配分すると、較差は1対4.62に縮まり、逆転現象は全て解消します。本書別表②「昭和二二年法と同じ配分方法による再配分」参照。

比例代表制の国は、大選挙区(数十人)が多く、五〜一〇年の人口調査ごとに、この最大剰余法で、議員を再配分しています。この配分方法を採用すれば、是正のための合理的期間は、国勢調査の人口が確定してから一年もあれば充分です。

平成六年においても、右配分方法による是正は可能であった。本書別表②参照。

(2) また、どうしても較差(最小対最大比)にこだわるなら、奇数を切捨てた後残余議員を配分するときに、議員一人当たりの人数が大きい順に配分すれば、較差を4.01倍まで縮小することが可能である。本書別表③「較差を小さくする残余配分」参照。

(3) 原判決は、「平成六年改正法によって最大較差が1対4.81まで縮小したうえ、いわゆる逆転現象も解消された」と評価している(原判決一五頁)。本書別表④「平成六年改正法の検討」参照。

しかし、本書別表②「昭和二二年法と同じ配分方法による再配分」を見ていただきたい。その表の右側に「平成六年法との比較」という欄があります。その「過不足議員数」欄を見ると、不平等な状態が次のとおり残っている。

① 人口順に並べたとき、人口が最も多い東京から福岡までの九都道府県について、法定配分議員数が二名〜六名不足している。

② 人口順に並べたときの中間選挙区に当たる広島から鹿児島まで一三県について、法定配分議員数が二名ずつ超過している。

③ さらに、四人区以上の付加配分区(平成八年九月一一日最高裁大法廷判決の反対意見の表現)について検討すると、平成六年改正法は、次のとおり不平等な状態となっている。

本書別表④の「平成六年法の検討」で、平成六年法の付加配分区を検討すると、その範囲での最小選挙区は鹿児島で四四万九千余人、最大選挙区は東京で一四八万一千余人、その較差は3.29倍である。

本書別表②「昭和二二年法と同じ配分方法による再配分」をすれば、付加配分区の最小対最大較差は、神奈川対広島で1.78倍に縮小される。

原判決は、平成六年改正法では最大較差が縮小し、逆転現象が解消した、と評価しているが、人口比例原則に違反する不平等状態が、右のとおり残っている。

(4) 我々上告人は、現行憲法に最も忠実であった昭和二二年法と同じ配分方法で、再配分すべきであると主張する。

昭和二二年三月の参議院議員選挙法は、現行憲法の公布(昭和二一年一一月三日)からその施行(昭和二二年五月三日)までの間に、制定された法律である。参議院は明治憲法の貴族院に変わる議院として現行憲法で認められた。その成立過程で、日本側が間接選挙制などを主張したが、マッカーサー司令部が直接選挙制を譲らず、それを日本側が認めざるを得なかったという経過がある。

参議院の組織について、「職域、地域、あるいは任命というようなもので、わがほうは考えておりましたところが、一議に及ばず。これは両議院共通の構成にすべしということで『両議院は国民により選挙せられ、国民全体を代表する議員をもって組織する』ということで、向こうのほうでこれは押しつけてきたわけです。われわれの持ち込んだ条文は全然見込みがないのかたびたび念を押したのでありますけれども、断固として譲りません。したがって……『両議院は国民により選挙せられ国民全体を代表する議員をもって組織する。』ということで話合いがついたのです。」(甲一二・第五次選挙制度審議会速記録一三六五頁)。

その結果、昭和二二年の参議院議員選挙法は人口比例配分の原則に忠実であった(本書別表①参照)。現行憲法は、参議院議員についても人口比例配分の原則を要求している、と解釈すべきである。

平成六年法の配分は、昭和二二年法が示した人口比例配分の原則に違反している。言い換えれば、現行憲法に違反している。

原判決は、その点の憲法解釈を誤っている。

四 立法府が最大限の努力をしたか否かを審理・判断すべきである。

(1) 国会は「正当に選挙された代表者」(憲法前文冒頭)「国民により選挙せられ国民全体を代表する議員」(マッカーサー草案)(憲法第四三条)によって構成されなければならない。それを実現するために、立法府は最大限の努力をする義務があり、裁判所は違憲立法審査権の行使において、立法府がその義務を完全に果たしたか否かを、立法経過(立法事実)を審理した上で、判断する義務がある。

そのときの審査基準は、『議員定数を人口比例配分するために、立法府が最大限の努力をしたか否か?』である。それらの努力義務を立法府が完全に実行したことが、裁判所に認められれば合憲、認められなければ違憲、と判断すべきである。

(2) 被上告人は国会に立法裁量権があると主張し、裁判所は国会に裁量権があることを認める。

仮に、国会に立法裁量権を認めるにしても、参議院の議員定数是正について、立法裁量権の限界はどこか、それを判断する裁判所の審査基準は何か?裁判所も当事者双方も、その具体化に議論を尽くすべきである。

平成六年に、なぜ、較差を4.81倍以下にできなかったのか? なぜ、憲法制定時の昭和二二年法の配分方法で再配分できなかったのか? 裁判所は、それからの事実(立法事実)を審理し、その理由に合理性がなければ違憲の判断をすべきである。

私は、原審において、国会が裁量権を逸脱している可能性を、指摘した(平成八年一一月五日付準備書面(第四)のうち第二)。衆議院の定数是正は過去四回行われたが、その是正方法は「最大較差の縮小」であった。ところが平成六年の参議院議員の定数是正の最終目標は「逆転現象の解消」であった。その大義名分の違いは、なにが原因か?

参議院の較差を縮小するには鹿児島県を四名から二名(同時選出議員一名)に減員しなければならない。(他の四人区を減員すると逆転現象を作ることになる。)ところが、その鹿児島県選挙区に、当時社会党書記長久保亘がいた。同時選出議員を一名にすれば、自民党一名が当選し、久保が落選する。社会党としては、較差縮小は絶対反対となった。

原審は、それらの事実(立法事実)について、何の審理・判断もしていない。原審判決は、審理不尽を理由に取消すべきである。

(3) 従来の裁判所も、国会の審議経過を全く審理していない。

しかも、裁判所は国会の審議経過(立法事実)の審理を回避するために、国会に「立法裁量権」を認めてきた。立法裁量権を認めれば、国会の審議経過を審理しないで、ただ「国会の裁量権の範囲内である」と言えば、合憲の判断をすることができるからである。裁判所はその論理の上に立って、不平等な配分を、合憲と認めてきた。

裁判所は、「政治の茂み」に入りたくない、裁判所の「自己抑制」である、と考えておられるかもしれない。しかし、裁判所が違憲立法審査権を行使するとき、国会との対立は避けらず、政治と無関係ではあり得ない。要は、憲法の擁護、国民の基本的人権を守るために、国会との対立をも恐れない勇気を持つか否かである。

最高裁判所は、本件において『国会が、民主主義・国民主権を実現するために、最大限の努力をしたか否か?』その具体的事実(立法事実)を審理判断すべきである。あるいは、高等裁判所に事件を差戻し、立法事実の審理を命ずるべきである。

別表①〜④<省略>

上告人森徹の上告理由

平成九年二月二〇日、頭書記載の事件につき、上告人が上告した理由は以下のとおりです。

[略語表]

「昭和二二年法」…参議院議員選挙法(昭和二二年法律第一一号)

「公選法」…公職選挙法(昭和二五年法律第一〇〇号)

「平成六年改正法」…第一二九国会に改正された公選法の一部を改正する法律(平成六年六月二九日法律第四七号)

「本件改正規定」…第一二九国会において、公選法について、公選法の一部を改正する法律(昭和六一年法律第六七号)により改正された参議院議員定数配分規定である公選法第一四条及び別表第三並びに平成六年改正法附則

「本件選挙」…平成七年七月二三日施行の参議院議員選挙のうちの選挙区選出議員選挙

「五一年最大判」…最高裁昭和五一年四月一四日大法廷判決民集第三〇巻第三号二二三頁

「平成八年最大判」…最高裁平成六年(行ツ)第五九号同八年九月一一日大法廷判決

一、原判決は、憲法の解釈を誤った違法がある。

1 上告人は、本件改正規定による配分の在り方を問題にしているのであり、公選法が採用する現行の参議院議員の選挙制度の仕組みの是非や、同選挙区選出議員につき選挙区制が採用されていること、あるいは、その選挙区を都道府県単位としたこと等を争点とするものではない。

従って、原判決の「第三、争点に対する判断」の「一」の1及び2については敢えて異論を挟まない(但し、国会に広範な立法裁量権を認める点は、小選挙区制、中選挙区制、大選挙区制、多数代表制、少数代表制、比例代表制等の具体的な選挙制度の採用に関しての趣旨と理解する。)。

2 次に、上告人は、本件で、人口異動による選挙区間に「生じた不平等状態」の違憲性を問題としているのではない。

上告人が問題にしているのは、本件改正規定による配分により、選挙区間で、投票価値の平等に対し「作られた不平等関係(差別)」の違憲性である。

3 従って、原判決引用の過去の最高裁判決は、いずれも本件には先例として妥当しない。

4 すなわち、過去の最高裁判決の事案は、いずれも昭和二二年に制定された参議院議員選挙法別表を継受した公選法別表第二の定数配分規定が、その後の人口異動の結果、各選挙区ごとの人口数に比例せず、昭和二二年法制定当初の選挙区別議員一人当たりの人口数の最大較差が漸次拡大したことに対し、国会が是正を「放置」した事案であり、いわば、「放置」による「生じた不平等状態」の合憲性を判定した先例である。

これに対し、本件はかかる不平等状態の是正のための積極的に立法行為を行い、立法を行った事案である。

いわば、過去の最高裁判決の事案が、「生じた不平等状態」の事案であるのに対し、本件は、立法行為により「作られた不平等関係(差別)」の事案なのである。

5 従って、両者は、自ずとその法的評価は異なるはずである。過去の最高裁判決は、過去に起こった不平等状態についての事後的な「評価規範」とはなり得ても、これから、立法を行う場合の基準となる「行為規範」とはなり得ないものである。

たとえば、仮に、本件改正規定が、議員一人当たりの人口数の最大較差が1対4.81倍まで縮小可能であったのに、1対5.5倍までの較差を許容する定数配分規定を立法したとしたら、かかる立法行為は合憲と評価し得るであろうか。

過去の最高裁の判例が一対六未満まで許容しているとするならば、1対5.5倍のみならず、1対5.9倍としても合憲とでも強弁するのであろうか。少なくとも、1対4.81倍まで縮小可能であったが、敢えて1対5.5倍としたことについて、合理的な理由がなければ、かかる立法行為を正当な立法裁量権の行使の範囲と評価することは困難である。

つまり、機械的に選挙区別議員一人当たりの人口較差が最大一対六倍未満であれば合憲とする解釈は、憲法前文、第一四条一項、第一五条一項、三項、四四条ただし書などにより憲法上保障された投票価値の平等を立法府の恣意で差別的に扱うことを許容するものであり、五一年最大判をはじめとする過去の最高裁判決が判例として、このような解釈を許容したものとは、到底、考えられないのである。

6 しかるに、原判決は、かかる事案の差異に気づくことなく、次のように過去の最高裁判決に無前提に依拠し、議員定数配分規定の違憲性の判定基準の一般論を展開している。

「議員定数配分規定の制定又は改正の後、人口の異動が生じた結果、それだけ選挙区間における議員一人当たりの選挙人数(又は人口)の較差が拡大するなどして、当初における議員定数の配分の基準及び方法と現実の配分の状況との間にそごを来したとしても、その一事では直ちに憲法違反の問題が生ずるものではなく、その人口の異動が当該選挙制度の仕組みの下において投票価値の平等の有すべき重要性に照らして到底看過することができないと認められる程度の投票価値の著しい不平等状態を生じさせ、かつ、それが相当期間継続して、このような不平等状態を是正する何らの措置を講じないことが複雑かつ高度に政策的な配慮と判断の上に立って行使されるべき国会の裁量的権限に係るものであることを考慮してもその許される限界を超えると判断される場合に、初めて議員定数の配分の定めが憲法に違反するに至るものと解される。」(傍線筆者注)。

その結果、平成八年最大判が暗示した最大較差一対六倍未満なら合憲という量的基準を、安易に、本件改正規定の合憲性判定基準として用いている。

7 しかし、前述のとおり、本件事案は過去の最高裁判決の事案と異なり、直ちに先例として妥当するものではないのであるから、これを無前提に適用した原判決は、憲法の解釈を誤っているものと言わざるを得ない。

8 また、選挙区別議員一人当たりの人口数の最小値と最大値を比較する基準(以下、「最大較差論」という。)は、最大と最小の選挙区のみを比較するものであり、他の選挙区間の人口比例を全く顧慮しないものであり、定数配分規定を改正する場合の基準としては、無意味である。

現に、本件改正でも、八増八減の結果、確かに最大較差は縮小したものの、人口最小の鳥取県と北海道との較差は従来の2.29倍から4.58倍に拡大しており、また、兵庫県とでは、2.39倍から4.39倍に、福岡県とでは2.60倍から3.90倍へと較差が却って拡大しているとの議論もなされている(甲第一号証―第百二十九回国会「参議院政治改革に関する特別委員会会議録第四号・平成六年六月二十一日三頁)。

右のごとく、最大較差論は無意味であるのみならず、徒らに議論を混乱させるものである。

投票価値の平等にとって重要なのは「人口比例」である。

昭和二二年法の配分原則は、正しくこの憲法上保障された投票価値の平等の体現なのである。

9 以上のごとく、本件改正規定のごとく積極的な立法行為の合憲性の判定にあたり、過去の最高裁判例から、選挙区別議員一人当たりの人口数が最大較差一対六倍未満の定数配分であるならば合憲とする一般基準を導くことは、憲法の解釈を誤るものである。

二、上告人の主張―昭和二二年法の人口比例配分原則による配分とこれからの乖離の正当性の検証―

1 上告人は、原審において、国会の積極的な立法行為である本件改正規定の合憲性を判断するには、その基準として、昭和二二年法が採用した配分の原則を用いることを提唱した。

2 すなわち、まず、昭和二二年法が採用した配分の原則を、直近の平成二年国勢調査人口に適用して、理想的な人口比例配分のモデルを作成し、これを基準として、この基準からの乖離が「やむにやまれぬ利益」から合理的なものとして正当化されるかどうか検証すべきであることを提唱した。

3 この検証を実行したものが、訴状添付の[表1]である。

4 そして、この[表1]の中で、本件改正規定による配分と、理想的な人口比例配分のモデルによる配分との乖離を、「過不足議員数」という概念で表し、かつ、選挙権、投票価値の平等の侵害の度合いを「過剰代表」、「代表の欠缺」という概念で表し、本件改正規定が人口比例配分からは、著しく乖離しているものであることを明らかにした。

5 従って、かかる人口比例配分からの乖離が明らかな以上、選挙権の優越的地位、その内容である投票価値の平等の重要性から、本件改正規定による配分は、違憲と推定され、反対に、人口比例配分からの偏差の正当性を主張する側が、偏差を正当化する「やむにやまれぬ利益」を明らかにして初めて合憲と判断されるべきものである(この点、芦部信喜著「憲法訴訟の現代的展開」[有斐閣、昭和56年11月25日]三二八頁(二)の『非人口的要素と偏差の挙証責任について』参照。)。

三、仮に、上告人の提唱する基準を用いず、旧来から一般的に使用されてきた最大較差論に従うとしても、本件改正においては、最大較差1対3.62倍(鳥取県対愛知県)まで縮小可能であったのであるから、これを敢えて1対4.81倍(鳥取県対東京都)までの縮小に留めた理由が明らかにされねばならない。

1 この点に関する国会審議を引用する。

松浦功君「まことに難しい御質問でございますが、検討委員会等の議論では、かっちり最大剰余法であるとかドント法であるとか、そういう議論で八増八減という結論を導き出したということはないようでございます。基本的には百五十二という定数の範囲でできるだけ影響する県を少なくして、そしてなおかつ、逆転現象をなくする、そういうことで結果的に四増四減、八増八減という結果が出たと承知をいたしております。」

吉川春子君「今おっしゃられたように、何か哲学があるとか配分の方程式があるとかそういうことではなくて、非常にある点では政策的な配慮といいますか、その結果出てきたのが八増八減だということ、私もそういうふうに理解しておりまして、今の御答弁もそうであったと思います。

それで、法制局にお伺いいたしますけれども、二段階ドント方式によって定数配分をしますと現在の定数のまま百五十二という枠内でどういう配分になるんでしょうか、お答えいただきたいと思います。」

法制局参事(天野英太郎君)「お答えを申し上げます。ただいま御指摘の二段階ドントという方式でございますが、これは、まず最初に総定数のうちの各二人につきまして全都道府県に均一に割り振りました後、残余の五八議席につきまして二人を単位にいたしましてドント式で配分をする、こういう配分方式であるというふうに理解をしておるわけでございますが、この方式をとりまして百五十二の総定数を配分いたしますと、東京は十二、大阪、神奈川が八、愛知、埼玉、北海道、千葉、兵庫、福岡が六、静岡、広島、茨城、京都、新潟、宮城が四、それ以外の県が二となるということでございまして、最大格差につきましては愛知と鳥取の間で3.62倍ということになるのではないかというふうに思っております。」

2 この後、昭和二二年法の最大剰余法による配分の結果につき質問があり、これに関し、法制局参事は、大体最大格差は二段階ドント方式と同様の3.62倍になる旨答弁している(但し、定数がゼロになる四選挙区については、定数二を配分するとした場合である。)。

(以上、1及び2につき、甲第一号証―第百二十九回国会「参議院政治改革に関する特別委員会会議録第四号・平成六年六月二十一日二頁からの引用)。

3 このように、二段階ドント方式によったとしても(その当否は別としても)、最大較差は、1対3.62倍に縮小できるものであり、改正の対象となる選挙区も一四選挙区で、増減員数も一六増一六減により、総定数百五十二名の中で「実現可能な限り」の改正は可能であったのである。

三、本件改正規定の違憲性

1 ところが、右の3.62倍まで縮小する案を何故採用せず、本件改正規定のごとき法案が提出されたのかについては、本件改正規定の審議経過を見ても、何ら合理的説明がなされていない。

2 また、上告人の用いた最大剰余法による人口比例配分と比較しても、本件改正規定による配分が人口比例配分から偏差を設けた理由は、本件改正規定の審議経過を見ても、全く審議されていない。

3 したがって、「国会が正当に考慮することができる他の政策的目的ないし理由」などというものは、何ら本件改正では、国会で審議されておらず(甲第一号証参照)、国会の裁量権の行使といえる本件改正規定制定行為において、かかる選挙区間に議員定数の配分を差別的の取り扱うことにつき、「合理性」など微塵だに見いだせないのである。

4 このことは、訴状添付[表1]から明らかである。

すなわち、「表1」のNo.6の北海道選挙区は、四人減員により、制定当初の原則である最大剰余法に基づく配分による適正議員数から比べると、「2.9398人」も議員数が少なく、果たして四人も減員する必要があったのかどうかで極めて疑問である。しかるに、この点、国会の審議過程で、十分な審議がなされた形跡は全くない(なお、定数を六としても、神奈川、埼玉で各二名増員したのであるから、逆転現象の解消は十分果たせることになることは、表1から明らかである。)。

また、No.7の千葉県選挙区も、適正議員数から比べると、「2.8313人」も議員数が少ないのに、本件改正では全く改正の対象とされていない。この点、何故、本件改正で増員されなかったのかについて、国会審議では全く審議されていない。

これに対し、No.23の鹿児島県選挙区は、適正議員数から比べると、「1.7893」人分も配分議員数が多いことになる。従って、二人減員となってもやむを得ない選挙区であるはずである。また、定数二の三重県選挙区(No.24)と比べると、人口数が僅か「五三一〇人」しか違わない点からしても、定数二に減員されてやむを得ない選挙区であったのである。

現に、本件改正の当初、参議院選挙制度改革大綱での四増五減案では減員の対象となっていたが、急遽、平成六年六月一四日の与野党合意により、鹿児島県を減員対象区からはずすいわゆる「四増四減」案が合意されたのである(甲第三号証)。

しかるに、鹿児島県が定数四とされたことについては、平成六年六月二三日の衆議院での法案可決まで、ついに、何ら定数を四とする合理的な説明がなされたことはなかったのである。

5 本件改正規定は、専ら最大較差の縮小と逆転現象の解消を目的とし、改正の影響を受ける選挙区数を絞った緊急的かつ暫定的措置であると言われている。

しかし、そうであればなおさら、人口比例に基づく是正こそが万人の納得の行く配分方法である。

「緊急的」な場合、すなわち国会が与えられた立法裁量権を行使するに十分な時間的余裕がない場合には、国会のもつ裁量権は「零収縮」し、その結果、国会の立法権限は、「最も重要かつ基本的な基準」(五一年最大判等)である人口に比例した配分―すなわち昭和二二年法制定当初の配分原則に従った配分―をなすよう、覊束される、と解すべきである。

しかるに、本件改正規定では、前述のごとく、本来、二名減員されるべき鹿児島が減員対象とならず、本来、二名だけの減員で足る筈の北海道が四名も減員されている。

このような人口比例配分に反する配分は、凡そ「緊急的かつ暫定的措置」という理由だけからは、説明不可能である。

6 また、「暫定的」かどうかは極めて疑問であり、仮に、「暫定的」であるからと言って、合理的な理由なく、人口比例配分からの偏差を認めてよいということにはならない。

7 また、最大配分数が「八」に制限されているという点も、人口比例配分からの偏差の正当化理由とはならない。

そもそも、憲法上、参議院議員の選挙区選出議員の選挙区別の最大配分数を定める規定はない。当然、最大配分数が八という定めもない。従って、憲法上、最大配分数を八に押さえなくてはならないという制約はないのである。

最大配分数が東京都の「八」となっているのは、たまたま昭和二二年法制定時に、用いた配当基数の最大数値が8.58(東京都の場合)であり、偶数以上の端数切り捨ての原則をもってすると、これを八とするのが相当であったことに由来するのであって、もともと八人以上の配分を否定する趣旨のものでない(平成八年最大判での遠藤光男裁判官の追加反対意見参照)。

8 以上より、本件改正規定の制定は、国会の合理的な裁量権の行使の範囲内の行為であるとは到底是認し難い。

四、以上、本件のごとく新たに改正規定を制定した場合については、従来の配分規定の制定当初の配分原則に立ち返り配分を行なうことを本則とすべきであり、これを基準とすべきである。

従って、過去の最高裁判決の量的基準は本件では先例として妥当しない。

五、仮に、百歩譲って、過去の最高裁判例が先例として妥当するとしても、過去の最高裁判例を集大成した平成八年最大判では、一五人の裁判官中、七名の裁判官が意見を付し、うち六名もの裁判官が共同で反対意見を述べ、多数意見の八名の裁判官とは異なった合憲性判定基準を示している点を重視すべきである。

すなわち、「遅くとも、議員一人当たりの選挙人数の最大較差が五倍を超え、付加配分区間における定数二人を超える議員一人当たりのそれが三倍を超える状況が定着したとみられる昭和五〇年代半ばころまでには、平等原則に反する違憲状態となっていたものであり……」と。

また、その反対意見のうち、遠藤光男裁判官は、個別の追加反対意見の中で、「四人区以上の選挙区間の較差が三倍を超えるに至った場合には、もはや投票価値平等の原則からみてこれを容認し得るものではないと考える。」と述べ、さらに、本件改正規定に関連して以下のように述べている。

「ちなみに、平成六年六月二九日、いわゆる四増四減を内容とする公職選挙法等の一部を改正する法律が公布され、これによって全選挙区間における議員一人当たりの人口の最大較差が4.81倍に縮小されたとされているが、右改正案は、専ら逆転現象を解消することを目的とし、併せこれによって全選挙区相互における最大較差の縮小を図ろうとしたものにすぎない。むしろ制定当初の理念と配分の原則に基づき五八人の付加配分を適正に行おうとするのであれば、現行四人区の一部を二人区に減員し、かつ、八人区の一部を増員するなどの措置を採らなければならなかったはずであって、これに全く手を着けないまま行われた前記改正は、単なる弥縫策といわれてもやむを得ないであろう。現に、この改正によっても四人区以上の選挙区間の較差が三倍を超える選挙区が依然として三選挙区も存在するのであるから(鹿児島県選挙区の一に対し、千葉県選挙区の3.24倍、北海道選挙区の3.23倍、兵庫県選挙区の3.09倍)、右の改正によりその違憲状態が解消されたとみることは困難である。」

これら反対意見は確かに少数意見ではあるが、最大較差一対六倍未満なら合憲との趣旨の多数意見に比べると、格段の説得力があるものである。特に、四人区以上の選挙区につき対比を行うという点で、多数意見に比し合理性を有すると思われる。

すなわち、これら少数意見は、本件改正前の参議院議員選挙区選出議員の配分規定が昭和二二年法の配分規定をそのまま継受したものであること及び昭和二二年法が四人区以上の選挙区につき人口比例原則に基づく配分を行った事実を踏まえ、四人区以上の選挙区の較差を問題とし、多数意見より厳格な較差で合憲性を審査している(但し、最大較差一対三倍未満という基準を用いることについて、上告人は俄かに賛成できない。かかる最大較差という基準を用いることが無意味であることは前述のとおりである。また、一人一票の原則、複数投票の禁止の趣旨から基準を最大較差一対二倍未満とするのであればともかく、三倍と五倍という数値を採用することについては、その合理的な説明は不可能である。しかし、この点は暫く措く。)。

従って、原判決は、過去の最高裁判決を先例として考慮するとしても、平成八年最大判で少数意見が示した基準をも考慮の上、本件改正規定の合憲性を検討すべきであった。

六、むすび

1 本件改正は、昭和二二年法制定以来、何ら改正がなされてこなかった参議院議員選挙区選出議員の定数配分規定を、実に四七年ぶりに、改正をしたというものである。

2 この間、昭和四六年六月二七日選挙時には、最大較差が5.08倍(鳥取県対東京都)を超え、東京都に次ぐ二番目の神奈川と鳥取との較差は、奇しくも本件改正規定による最大較差とほぼ同数の4.81倍ていたことは、最高裁昭和四八年(行ツ)第一〇二号、同四九年四月二五日第一小法廷判決により、公知の事実である。

3 そして、昭和五〇年六月には、参議院での審議運営に関し、参議院議長より、次期選挙を目途として定数是正を行なうようあっせんがなされ、同五二年には法案の提出のあったものの、その後、本件改正まで全く「放置」されてきたものであり、いかに公選法上、参議院議員定数配分規定に、衆議院議員のそれのごとき更正規定がないとはいえ、余りに長期にわたる「放置」である。

4 したがって、この期に及んで、「緊急的」とか「暫定的」という抗弁自体成り立たないはずである。

5 この点を暫く措くとしても、本件改正は、四七年ぶりの改正であったものの、昭和二二年法制定当初の最大較差まで縮小するに至らず、実に、昭和五二年の国会での定数是正議論の出発点に戻る程度の水準に復したに過ぎない。いかに「暫定的」とはいえ、余りに拙劣な「弥縫策」と断ぜざるを得ない。

この点、原判決は、「憲法は二院制を採用したうえ、参議院については、その議員の任期を六年としていわゆる半数改選制を採用し(四六条)、その解散を認めないものとしているが(七条三号、五四条参照)、このことから、参議院(選挙区選出)議員については、議員定数の配分をより長期にわたって固定し」(傍線筆者注)と判示し、本件改正のごとき漸進的に較差を縮小する改正も立法裁量の範囲内とするが(この点、そもそも憲法の規定から、右傍線のごとき解釈を導くことは困難であると考えるが、この点の議論は暫く措く。)、本件改正のごとく、ようやく約二〇年前の国会での定数是正審議当時の水準に戻す程度では、「漸進的」というには程遠いレベルである。

6 さて、我々は、この先、一体いつまで、この「暫定的」な配分による歪められた「投票箱」により、代表を送り続けなければならないのであろうか。

そして、果たして、この歪められた「投票箱」により選出された「代表」に、参議院の抜本的改正を託することができるのであろうか。

7 「法律を制定する者の選挙において選択を行なう権利よりも貴重な権利は、自由な国家には存在しない。もし投票権が侵食されるなら、他の権利は最も基本的なものですら幻である」(Wesberry v.Sanders,376 U.S.1 [1964])。

今年、憲法は施行五十周年を迎える。

あらためて彼の国のこの言葉に思いを馳せ、真に我が国が自由な国家であることを願い、上告人は上告をなした。

8 以上が、上告人が上告をなした理由である。

別表<省略>

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